技術は磨くほど透明になる。表現者にとって技術の意味と価値とは?

気になる、そして共感する記事を見つけた。

失礼ながらこの山口晃氏という方は存じませんが、興味深い考察をしていた。

技術とは、なぜ、磨かれなければならないか

http://www.1101.com/yamaguchi_akira/2013-04-17.html

(※)出典:ほぼ日刊イトイ新聞 http://www.1101.com/home.html

技術というのは磨くほど透明になっていくもの

技術は「ない」か「不足」のどちらかだと言う。中途半端な技術で描かれた絵よりも、子どもの絵のほうが訴求するものがあると。子どもの絵には技術はないかもしれないけど、それが新鮮なんだと。

山口氏によれば技術とは「技術」というものは持っていることを忘れさせるくらいにまで磨き込まれることがひとつ、大切なことではないかと。 と言う。

また、「つくり手の意図するところ」へ「見る人をすうーっと直に導いてくれるもの」が「技術」なのではないかとも言っており、これらの視点は非常に興味深い。

山口氏のいう「技術の透明化」は、舞台芸術の場でも共通する。たとえば立ち居振る舞いの基礎だ。ステージに立つときにどのように振舞うかは、ダンスや歌、芝居を引き立たせるための土台としてShowを支えていると言える。

意図しない姿勢の悪さ、下向きな目線、滑らかでない身体の移動などが目に入ってしまうと、そこにばかり気が行ってしまい肝心のステージ上で繰り広げられる内容に集中が出来ない。

これはサーカスでも同じことで、

サーカスでの技術とは主として「アクロバット技術」であるが、アクロバットの技術が不足していれば危険も伴うし、見ている観客に不安と恐怖を与えてしまう。

ハラハラするけど、きっと大丈夫なのだろうという、ある意味での矛盾した安心感がライブイブShowのよさだ。

だが同時に山口氏は、

「ようするに、見る者にとって限りなく「違和感がない」んだと思います。 また違った意味で限りなく「透明」な存在と言いますか。 」

とも述べている。

上手なだけ、技術があるだけでは透明になってしまう!

これもまた面白い視点だ。技術だけでは面白みがなくなってしまい、すーっと通過してしまうと山口氏は指摘する。競技出身の自分としては耳の痛い話だ。

競技の場合は的確かつ精密に、それでいて最大限の省エネで技を繰り出す。最適化された技には独特の「美」が存在すると思うが、山口氏の視点で言えば「限りなく違和感が無い」ということになる。

ロープスキッピング競技の世界チャンピオンの演技は、その良い例だと思う。

彼の演技は美しい。限りなく最適化され、競技者として誰もが認める世界最強だ。

限りなく違和感がなく、透明に近いという山口氏の指摘が妙に納得できる。

彼の演技が過去最高点を叩き出して世界4連覇を成し遂げた理由が、これだと思う。

違和感や引っ掛かりを作るテクニック

世界チャンピオンの演技は競技では申し分ない。しかし舞台芸術の場では話は変わってくる。彼の演技は競技では高い評価を受けるが、逆に「違和感が無さ過ぎる」のだ。

山口氏は

「とかく、人間が表現行為をなそうというとき、

そのような

「ああ、はいはい、これね」

とか

「知ってる知ってる、こういうことでしょ?」

みたいなところへ、収めてしまいがち。 」

それでは、ちと、おもしろくありません。

つまり、技術だけで見せることは、ちと、面白くない!!見ていて違和感や引っ掛かりを生むような「何か」を加えていかないとダメなのだ。

だが、ここで取り違えてはいけないのは「一定技術の透明度」がある前提を忘れてはならないこと。透明度の無い技術によって「違和感」や「ひっかかり」を感じさせるのとは別の話だ。

前者は意図的に伝えたい内容、

後者は意図せずに観客に伝わってしまうもの、

似ているようで大きな違いがある。

プロとは意図して引っ掛かりを作り出し、表現したい場所へと観客を導くのだと山口氏も語っている。

ビカビカ!!ってくる直感

最後に山口氏は「言葉や論理よりも「びかびかーっ!」っと光ったもののほうを優先している」と述べている。直感というヤツだ。

言葉や理論で重ねたものは自由度が少なくなってしまい、結果として小さく収まってしまうとのこと。氏自身、学生時代は絵画を描く前に文字に起こしてから制作に取り掛かったとのこと。

文字に起こすことで思考を整理して、より理論的に物事を考えられると斉藤孝先生はいう。

大事なことは3つにまとめなさい!

単に物事を空想しているだけでは、思考はまとまっていかない、とか。

だが、この場合、あえてまとめないことが「違和感」や「引っかかり」を作ることになるのではなかろうか。山口氏の言う「ビカビカ!という感覚」を文字に起こし、文章化した時点で糊代部分が埋められて最適化されてしまい、見る人にはすっきりと伝わる「透明度の高すぎる」モノが完成する。

理論的に相手に伝える場面では必要なスキルであろう、だがここでは残念ながら親和性が悪い。

日本人はよく、技術は世界トップだけど表現力が無い、と言われる。

感情表現に乏しい、なんて言われ方も多い。

これは自分も含め、

理論的に考えて技術を習得すること、に重きを置きすぎている弊害だと思う。

技術を磨いていくことが、最優先になっている、結果として透明度の高すぎる表現。

技術練習はもちろん大切だし、根幹を成す。

しかし「技術」ばかりに囚われているうちは、まだまだなのだろう。

「直感の精度を上げる」ためには

自分のなかに

「基礎資料」が入っていないとダメ

山口氏の言う「ビカビカ!」っとくる直感を磨くためにも、もっと色んな経験をつんで基礎資料を入れていこう。

もしかすると、ダブルダッチで言う「フュージョン」と「フリースタイル」の違いはここにあるのかもしれない。

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この記事を書いてる人


縄跳びパフォーマー 縄のまっちゃん
 ※本名:粕尾将一(カスオショウイチ)

全国の学校やイベントで縄跳びをつかったパフォーマンスや出張なわとび教室を行い、子ども達に運動の楽しさを伝え笑顔を引き出す仕事をしています。

【略歴】
全日本チャンピオン、アジアチャンピオン、世界大会6位。2010年よりシルク・ドゥ・ソレイユ常設ショー「La Nouba」に6年間約2500回の長期出演を果たす。