シルクドソレイユアーティストの日常

大切なモノで共感できなくても、強要してはいけない。

誰にでも、本気になっているモノ大切にしているモノの1つや2つはあると思う。

ではあなたは、
その大切なものを貶されたり、バカにされたらどうするだろう??

laughing eyes

言わずもがなで、縄のまっちゃんが大切にしているのは「縄跳び」。
単縄とかダブルダッチとかも含めて、「縄全般」を本気でやってきて、すごい大切にしている。

本当は別の内容の記事を書こうと思ったんだけど、
考えを進めるうちに思考のドツボにハマってしまい、
結果的に横道的に出てきたこの話題を書くことに。

自分としても納まりがつかなくてどうしよう?って悩んだ部分もあった。

でも悩んでいるうちに違った結論に至った。

たかが縄跳び、でしょ?

少しだけ昔話。
縄跳びを初めて跳んだのは小学校のころだけど、
本格的に競技やパフォーマンスとして始めたのは「高校生」の時だ。

高校生という多感な時期、
縄跳びなんかを本気でやる自分は格好のイジリ対象だった。
もともと「イケてるグループ」には縁遠い立ち位置だったことも重なり、
同級生や下級生にまでバカにされ、貶される日々が続いた。

しかし当時は、
この悔しさをバネに頑張れた部分もあった。

その後、直接的なイジりは減っていったものの、
他者からの冷めた空気を感じる機会は少なくなかった。

大学に入ったころには反対に、
自虐的に「縄跳びやってます」っていうネタにすらしていた。
でも心のどこかで悔しい思いというか、
なんでこんなに真剣に本気でやってるのに、
何も知らない連中にバカにされなきゃいけないんだって心の底で思い続けてきた。

気持ちの整理

当時から感じていた自虐的な思い。
表面では笑ってるけど心の中は怒りに満ちていた。
実はこの思いってつい最近までずーっとあって、

無意識のうち、卑屈になることをエネルギーに変えてる自分もいた。

けど、
もしかすると自分は、縄跳びの素晴らしさを伝えたいんじゃなくて、
相手に考えを強要してただけなんじゃないか?
って気付いた。

たとえば自分が熱く縄跳びについて語ったとする。それこそ小一時間ぐらいは語れる自信がある。
でもこの熱量の受け取り方って十人十色。

中には一緒に縄跳びをはじめよう!って思ってくれる人もいる。
けど一方で、やっぱり縄跳びどうでもいいやって人もいる。

熱量はあくまで受け取り手の感じ方だし、
このことに苛立ちとか怒りを覚えても仕方ないんだよね。

「しょせん縄跳び」で、いいや。

人の考え方や価値観を変えるなんておこがましいにも程がある。

これからも、
「縄跳び楽しいよ!」
「一緒にやろうよ!」

みたいなメッセージを発信し続けるつもり。

だけど、
それが響かなかったからと言ってイチイチ腹を立てたり、
卑屈になるのは止めようと思う。

「愚か」だとか、「業界の質の低さ」とかって言われるのは悔しいし、
バカにされて良い気分はしない。

けど人が何て言おうが、こうして「自分」が縄跳びを楽しんでいることに変わりはない。
一緒に楽しめなくて残念だな、違う考えの人もいるんだな、って
少しずつ思えるように努力したい。