『慣れ』という病は、無意識かつ着実に進行するから恐ろしい

気づかない「慣れ」ほど怖いものはない。
何千回ステージに立とうと、常に恐れている。

 

シルクドソレイユのショーは公演回数が非常に多い。
ツアーショーであっても平均して年間350回、
常設に至っては450回を超える。
※ちなみにラヌーバは478回

 

細かく変更は行われるとはいえ、ショーの内容は基本的に同じ。
アーティスト側もローテーションでいくつかの役割を回しているが、
それでもなお回数が多い。

もしかするとこれは自分だけかもしれないが、
恐ろしいことに、ヒトは1600人の前で演技をすることにすら慣れていく。
演技内容は同じだし、動きも振り付けも常に同じ。
すると「これだけやってきたんだから大丈夫だ!」という自信につながり、
満席のシアターの中央で縄跳びをすることにすら慣れてしまう。

たしかに緊張のし過ぎでステージに立つのは考えもの。
適度にリラックスしないと身体が強張って思った演技はできない。
この意味では良い慣れもある。
しかし一方で良からぬ慣れが存在するのも確かだ。

 

★★

 

自分が一番恐れているのは「見慣れる」ことである。

 

演技で入れている技はどれも、80%程度の力で通すことが出来る。
なぜかってのは技術の伸ばし方についての記事を参考にしていただくとして、
80%のだと少し力を抜いても通すことが出来る。
その抜いた力が観客に向かえば文句はない。
だがヒトは楽をしたがるもの、単純な手抜きになることだってある。

 

www.shoichikasuo.com

 

さらにタチが悪いのは無自覚の場合。

 

繰り返される演技の中で最適化され、知らずのうちに力を抑えてしまう。
そして演技は更に繰り返され、強固にルーティンとして組み込まれる。

こうなると見つけるには客観的に映像で確認する必要がある。
この理由で、自分は週に1回は必ず演技を映像で確認している。
動きに抜けはないか、不十分な部分はないかとチェックする。

 

しかしだ・・・

これすらも慣れていく。そう、

手抜きしている状態を見慣れてしまう。

 

映像で確認するとはいえ、日々少しずつ変化していくと見落としがちで、
なんか違和感があるけどこんなだったよね?と変な納得をする。

これは動きを見る「目」にまでサビつきが及んでしまったことを意味する。

 

★★

 

ヒトは回数を繰り返えすと、なんとなく良いんじゃね?と解釈し無意識に受け入れる方向に進む。
繰り返しの中に改善点を見るけるというのは、ある意味で斜に構えた状態で、目の前の事象を否定的な意識で観察することだ。
これが結構シンドイ。

一種の自己防衛的なもので、
見慣れてるし、良いんじゃね??と、
感覚や目の前の事実を歪曲してでも、自己暗示的に納得してしまう。

 

もはや一種の病と呼んでもいいだろう。
「慣れ」の病はどんどん楽な方向へと自分を転がしていく。
しかも気付かないほどゆっくりで、それでいて確実に進むから恐ろしい。

放置しておけば、技の喪失のような致命的な崩れに繋がる。

 

★★

 

この現象は至るところで起こる。
むしろ縄跳びを跳んでる場面でなく、歩く、走る、などの単純な動きこそ危険性が高い。

 

何とかして、この恐ろしい「慣れる」をから逃れるため、
過去の映像を見たり、トレーニング中の映像を見直したりしている。
それでもなお、回数を重ねれば重ねるほど、病は進行していく。

 

この病から逃れるために、自分たちは日々、
フォームを確認し、身体に意識を入れ、音に合わせ、呼吸を整える。

馴染んだ基礎であっても疑って、
なぜこれが良いのか?と自問自答を繰り返す。
必要があれば培ってきた基礎を全て捨てる覚悟で。

 

最大の敵は自分と言われる所以が、
もしかするとこの辺りにあるのかもしれない。

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この記事を書いてる人


縄跳びパフォーマー 縄のまっちゃん
 ※本名:粕尾将一(カスオショウイチ)

全国の学校やイベントで縄跳びをつかったパフォーマンスや出張なわとび教室を行い、子ども達に運動の楽しさを伝え笑顔を引き出す仕事をしています。

【略歴】
全日本チャンピオン、アジアチャンピオン、世界大会6位。2010年よりシルク・ドゥ・ソレイユ常設ショー「La Nouba」に6年間約2500回の長期出演を果たす。