好きを仕事にしたら「強制的にOFF」にできる自制心が必要

怪我から復帰して1週間。無事にショーに出演しています。

 

今回の一件を通じて考えた結果、

できるだけ、練習しない
ってかするべきじゃない

という結論に至った。

 

怪我の原因の一つに練習のやり過ぎだがあったと思われる。

これまで、ショーがある日は毎日練習をしてきた。
合計で1時間ってとこ。

 

「え!?そんな少ないの!?」

 

って言われそうだけど、これだけやってれば十分だった。
でもこの練習量ですらアーティストの中では多いほうだと思う。

そこに来ての怪我、これは練習のルーティンにメスを入れる時が来たんだと直感。

- なぜ、練習するか

縄跳びはミスをしやすい演目だ。
何回練習を重ねてもミスは起こる。しかもミスは一発でバレる。
だから何度も何度も練習をして、本番に向かう。

至って当然の流れだけど、
どれだけ練習をすればいいのか?ってのはあまり考えてこなかった。

何となく自分が納得する、自信を持ってステージに上がれるぐらい、って程度かな。
本当にこの練習が必要かどうかと言われると疑問がある。

 

考えてみるとステージで最高の演技が出来る状態を目指して、日々自分たちは準備をしている。
そのために練習もするし、必要なエクササイズをする。

でもね、
練習量を削っても最高の演技ができる状態を維持できるのであれば・・・事情は変わってくる。

これだけ必要だって思う練習量は、あくまで自分の感覚。
んなもん長いことやってれば変わっていくし、練習だって少なくて済むようになってるかもしれない。

なのに、この練習は必要だ!!って同じ量の練習を続けてるって、
実は合理的でない。

 

どうせ自分は変わらないよ、っていう、
変化していることを考えるのを止める、一種の思考停止。

- 誰が練習量が多ければ良いなんて言った?

練習に励む自分を見て、ある時

「なんでそんなに練習するんだ?」
「何かショーに備えて足りないことがあるのか?」

と聞かれたことがある。

当時はまだまだ演技が不安定で練習が必要だと感じていた。
だからこそ、当時の自分には練習が必要だったのだろう。

でも今はどうだろうか?
安定してきた単なわの演技をするのに向けて、
当時と同じ練習をすることがほんとうに必要だろうか?
はたして練習量を減らして、何か演技に差が出るだろうか?

 

ドライな考え方ではある。

 

でも練習だってひとつの負担だし、ある意味リスクだ。
計算なんかしたくないけど、きっと縄跳びを人生で跳べる回数はある程度決まってると思う。
跳んだだけ、身体へのダメージは蓄積する。
たとえ小さくても確実に有限だ。

有限の跳べる回数、ひいては有限の時間、
圧縮して跳べば跳ぶほど、跳べる時間は短くなっていく。

 

何となく練習?のように、
あやふやな練習のために貴重な資源を浪費するのはもったいない。

- 心は跳びたがっている

冷静に分析すれば、不要な練習は削減すべきだ。

でもね・・・縄跳びが大好きなサガはどうしても治せない。
仕事とかショーとか関係なしで縄跳びを持ったら、一気に何時間でも練習しちゃう。
無茶な技とか新技へのチャレンジとか、
そりゃもう、誰が言わなくてもガンガン跳ぶと思う。
だって縄跳びが好きだから。跳んでると時間を忘れてしまうから。

 

好きなことゆえ、時間を忘れて没頭してしまい易い。

だがそれはプロとして失格だ。
いくら好きであろうと、自制が必要である。
練習のし過ぎで怪我をしたなんて、本来あってはいけない。
日々、ショーに向けて最善の状態を創る。
時間をシッカリ決めて過不足ない必要な分の練習で終える。

 

そう、ときに跳びたい欲求を殺してでも。

 

好きなことを仕事に出来ている幸せは重々承知の上。
でも好きなことを制御するのは、

やっぱシンドイなぁ。
こりゃ一種の中毒なのかもね。

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この記事を書いてる人


縄跳びパフォーマー 縄のまっちゃん
 ※本名:粕尾将一(カスオショウイチ)

全国の学校やイベントで縄跳びをつかったパフォーマンスや出張なわとび教室を行い、子ども達に運動の楽しさを伝え笑顔を引き出す仕事をしています。

【略歴】
全日本チャンピオン、アジアチャンピオン、世界大会6位。2010年よりシルク・ドゥ・ソレイユ常設ショー「La Nouba」に6年間約2500回の長期出演を果たす。