なわとびパフォーマーの仕事論

論破で喜ぶのは99%無意味。デキる人ほど「叱られる力」を磨く。

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叱られるのは気分のイイものじゃないですよね。

自分もよく叱られます。仕事でミスをした時、うまくコミュニケーションを取れなかった時、単純に成果がよくなかった時・・・探せばいくらでもあります。

ただ叱られ方にも上手な人と下手な人がいます。上手な人は不思議とチームの信頼を集め、下手な人は徐々に孤立していく。この両者の違いは何でしょうか。

「お前に言われたくない!!」は殆ど的外れ

まずやってしまいがちなのが相手との関係性に持ち込むケース。

『そっちだって○●じゃないか!?』と焦点の違う問題を引っ張ってきて反論。相手との年齢や立場が近い場合に起こりやすいケースです。

こうした相手との関係性に議論を持ち込むのは常套手段とも言われています。議論の焦点をずらして「上からモノを言うな!」と相手を退けることが出来るからです。

しかしこれでは何も話は進みませんよね。ただでさえ人のミスや問題点を指摘するのは骨の折れる作業。適当に慣れ合っていた方が楽なのに、あえて気分を害するような指摘をするのですから。

にもかかわらず「お前だって!!」と突っぱねられた相手は、どう思うでしょうか?

論破することに意味はあるか?

あらぬ誤解を解くのは良いでしょう。しかしいつも論破するのは考えモノ。相手は問題を解決しようと提案しているのです。なのにいつも論破されていては、次第に言葉を掛けるのも億劫になりますよね。

しかも論破したことで問題は解決しましたか?
言いくるめて相手を閉口させただけじゃありませんか?

誤解を解くのと論破するのでは意味が違います。誤解を解いた後は双方が納得します。一方で論破はする方こそ快感かもしれませんが、された方にはわだかまりが残るものです。

過ちを認めるのは負けではない

叱られた時に華麗に論破でもしようものなら、その人は二度とあなたを叱りません。手応えもなしに骨の折れる行為を繰り返してくれる人など居ないからです。そればかりか「反論ばかりで非協力的」というレッテルを張られ、他の場面の信頼も失いかねません。

またきちんと事実を認めたと表明することも大切。過ちを認めるのは負けではありません。叱る側も次に繋げてほしいから、わざわざ言葉に出しているのです。「でも」や「しかし」で反論してばかりでは、事実を認めているとは言えませんよね。

叱った相手が「ちゃんと響いた」「骨を折った甲斐があった」と感じればあなたの勝ちです。厳しい言葉でも投げかければちゃんと変化できる人、と認めてもらえるからです。ここに生まれる期待を信頼と言います。

同じ嫌な思いをするなら、上手に叱られて次に繋げていきましょう。