自分を表現したい人は、つまりは何がしたいのか?

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photo by Ariff Tajuddin

 

自分は以前から「自分を表現したい!」というフレーズが不思議でした。

 

表現したいのはわかるのですが、主体である「自分」とは一体どこから来るのかを掴めませんでした。たとえば舞台で怒りを表現する、というのなら解せるんです。なぜなら、抽象的な概念ではありますが「怒り」という指標があるから。

 

しかし「自分」となると、こうした指標もありません。何をもって自分なのか?といった哲学的な問いのループにハマりそうです。

 

これが最近になって、ようやく答えらしきモノが見えてきました。「表現したい」は「滞留している」とほぼ同じなのだと思います。

 

- 実は表現したい「モノ」はが何かは分からない

これまで表現といえば、先に挙げたような指標があって成り立つと思っていました。たとえ抽象的な概念でも、向かう方向がわかれば表現する方法があるからです。

 

でも実際は、自分を表現したい人って何を表現したいのかを本人も不明確なままが多いと思うんです。何かは分からないけど表現したい。こうした欲求が自分を表現したいというフレーズに込められているのでは?と考えるようになりました。

- 表現したい欲求はどこから来る?

じゃこの欲求はどこからくるのか。それは中に溜まり続けるエネルギー。

 

内側に悶々と溜まり続けるエネルギーは、ある一定で爆発しそうになる。エネルギーの滞留を解消したい!という欲求こそが自分を表現したいの根本にあるんだと思います。

 

たとえばこの前の長期離脱した時は、エネルギーの滞留がハンパなかった。我々はショーでエネルギーを発散しています。ステージから客席にぶつけるのがアーティストにとっての「自分を表現する」という営みそのもの。

 

この手段を奪われた自分は、どうすることも出来ないエネルギーを持て余すことしか出来ませんでした。結果としてブログというエネルギーをぶつける場所に発散しましたが、仮にブログをしていなくとも何か別の発散方法を見つけていたと思うんです。

 

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- シルクドソレイユで言われるエナジーに通じるかも

モントリオールのトレーニング中、エナジーを出せ!と頻繁に言われました。ただ無我夢中で動くことしかできなかった自分には、どうやってエナジーを出すのか検討もつきませんでした。

 

ある日はOKで、別の日はダメ。

 

どうやら元気一杯に動けばOKなのか?と曖昧な基準しか掴むことができず、デビュー後もひたすらに元気一杯に演技をすることしか出来ませんでした。

 

エナジーが大切なのは分かってても、何がエナジーかを掴めないまま。あれから色んな人に質問をしましたが、誰も芯を食う答えは貰えませんでした。

 

が、「自分を表現したい!」の流れで考えると腑に落ちたのです。

 

自分の中に溜まり続けるエネルギー。発散したいという欲求。この発散の手法に縄跳びが乗っかった時、シルクドソレイユで使う意味の「エナジーの良い演技」が出来るんじゃないかな?と。

- なぜ表現したいエネルギーが溜まり続ける?

では、滞留するエネルギーはそもそもどこから湧いてくるのか。正直まだ分かりません。

 

面白い動画を見つけて紹介したい衝動。いい技を思いついて人に見せたい衝動。こうした衝動にエネルギーの源泉があるのかも?と考えてますが、まだハッキリと掴めてはいません。

 

ただ、内部にエネルギーが溜まり続けて発散しなきゃ!!という欲求があるかどうかが、表現に向くか否かを決める大きな基準になるのは間違いなさそうです。

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この記事を書いてる人


縄跳びパフォーマー 縄のまっちゃん
 ※本名:粕尾将一(カスオショウイチ)

全国の学校やイベントで縄跳びをつかったパフォーマンスや出張なわとび教室を行い、子ども達に運動の楽しさを伝え笑顔を引き出す仕事をしています。

【略歴】
全日本チャンピオン、アジアチャンピオン、世界大会6位。2010年よりシルク・ドゥ・ソレイユ常設ショー「La Nouba」に6年間約2500回の長期出演を果たす。