『ありのままの自分』とは、振りかざすモノではなく受け入れるモノ

Cats in Fushimi Inari Shrime
Photo By Takashi Hososhima

 

先日バックアップキャラクター*1の内部オーディションがありました。

 

自分はソリスト*2なのでキャラクターのバックアップにはなれません。でもオーディションそのものが素晴らしいトレーニングの機会。誰でも参加OKだったので意気揚々と参加してきました。

 

オーディションを受けながら、ふと「ありのままってなんだろうなぁ…」という疑問が頭に浮かびました。アナと雪の女王でこの言葉が流行りましたが、この言葉はステージに立つ人間こそ、心に留めておく必要があると考えるようになりました。

 

- ありのままとは何か?

ありのままの自分というと、人に受け入れてもらうイメージの言い回しが多いです。でも本来は自分自身が受け入れるものだと思うのです。

 

自分自身ってそんな素晴らしくないですよね。見た目、性格、能力、才能、自分の全てを愛している!という人は相当なナルシストかごく限られた特殊な人でしょう。人と比べて惨めな思いになったこと、誰にでもあるはずです。

 

つまり、バク転が出来ないとか、才能が無いとか、頭の回転が遅いとか、こうした短所をひっくるめて「ま、これが自分なんだよね」と受け入れる。これがありのままを受け入れた状態だと思うんです。

 

反対に「自分は本気出してないだけ!」とか「チャンスがあれば!」とかはありのままを受け入れられてない。単に「たら・れば」の魔法で自分を誤魔化してるんです。ありのままの自分がみっともない、カッコ悪いことを受け入れられず、たら・ればの可能性に逃げてるだけなんですよ。

 

こう考えると、ありのままを受け入れるって実にシンドイ。自分の長所・短所と正面から向き合う必要がありますからね。生きていれば、目を逸らしたい事実なんていくらでも起こりますし。

 

- ありのままの姿こそ個性である

自分はキャラクターになる道を探しています。実はキャラクターも「ありのまま」がとても大切なんです。

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誰しもステージで緊張しない人はいません。すると人は自分を偽って場を取り繕おうとします。言い換えれば、自信ある動きで覆い隠そうとする。体操が出来る人なら体操を、ダンスをしている人ならダンスをし始める感じですね。

 

どんな人もこれらの鎧を脱がない限り、ありのままの姿は見えて来ません。一流とはいえフォーム通りの動きに個性は宿らないのです。ダンサーオーディションで立てなくなるまで踊らせるのは、そのぐらい疲れないと鎧を被り続けて個性が見えないからとも言われています。

 

ありのままの自分を見つけた人は、真に個性的な動きを生み出します。もはや歩くだけで誰かを判別できます。反対に受け入れられない人は、何かを持ってきて着飾ろうとします。

 

あの動きがカッコいい、この動きが評判良い、その技は簡単に出来るらしい・・・こうなると摘み食いの寄せ集めにすぎません。それは、どれもこれも誰かの劣化コピー*3という悲しい状態です。

- ありのままとは、振りかざすモノではない

たまに「ありのままの自分を受け入れてほしい!」というフレーズを耳にします。でもこれ使い方オカシイですよね。ありのままを受け入れるのは自分自身であって、人にお願いするものじゃないです。

 

出来ないことを認める勇気が、ありのままの第一歩。まだまだキャラクターになれる目途は立ちませんが、これからも「ありのまま」を受け入れながら歩き続けたいと思います。

 

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*1:アーティストが怪我や病気で欠勤した時、代役を演じるアーティスト

*2:1-3名の少人数で演技をするアーティストの呼称

*3:完全には真似できず、本家より劣化したモノを真似している状態

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この記事を書いてる人


縄跳びパフォーマー 縄のまっちゃん
 ※本名:粕尾将一(カスオショウイチ)

全国の学校やイベントで縄跳びをつかったパフォーマンスや出張なわとび教室を行い、子ども達に運動の楽しさを伝え笑顔を引き出す仕事をしています。

【略歴】
全日本チャンピオン、アジアチャンピオン、世界大会6位。2010年よりシルク・ドゥ・ソレイユ常設ショー「La Nouba」に6年間約2500回の長期出演を果たす。