嫉妬から始まる議論があってもいいと思う

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photo by Menage a Moi

こんにちは!縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

先日書いた「高校野球」の記事がハフィントンポストに転載され、プチ炎上しました。

■参考記事:高校野球の「代打バットヌンチャク」を見て思うこと – なわとび1本で何でもできるのだ

リンク先はブログ内の記事ですが、興味のある方はハフィントンポストのページから検索してください。※強い言葉と批判が並んでいるので閲覧注意です。

批判、反論、罵詈雑言から誹謗中傷までいろーーんなな意見がコメントに溢れています。とある親切な人が、ハフポス記事についてのリプライをTwitterにくださり、ぷち炎上の事実を知りました。

今回の記事コメントで「嫉妬してるだけ」という意見をいただきました。パフォーマンスで注目されたことに嫉妬しているパフォーマーとは、上手いことを言うものです。

では「嫉妬から始まる議論」というのは、本当に不毛なものばかりなのでしょうか?

- 事実に対する「引っかかり」からはじまる

今回の記事で題材に上げた「バットヌンチャク」について、自分は否定的な意見を述べました。論点は「奇をてらう事より、競技に集中する人に光を当てたい」というもの。書いている本人も、注目を浴びたことへの嫉妬があったとは感じていません。

ただ事実として自分は現役のパフォーマーで、題材にしたバットヌンチャクが世界的な注目を浴びました。ここに嫉妬があったのでは?という意見がくるのもごもっともだと思います。

でも本当に嫉妬だったかどうかは、あまり関係ないのではないでしょうか。嫉妬や興味は、いずれも物事を考え出す引っ掛かりに過ぎないと考えているからです。

ちくしょー!羨ましい!!批判をして陥れてやる!!!はどうかと思います。ですが「なぜ不快感を覚えたのだろうか?」「背景にあるのは何なのか?」を考えて意見を組み立てる。

たとえ引っかかりが嫉妬から出発していても「事実に対してこんな風に考えます」と発信をするのは、意義があることだと思うのです。

- 嫉妬で文句を言いたいだけ、との違い

一方で、嫉妬から出発した意見には偏った考えが入りやすいのも事実。今回も「スポーツは真剣勝負であるべき」「奇をてらうより実力を」という自分の価値観が強く反映されています。

やもすれば、単なる文句や誹謗中傷。これは十分に気を付ける必要があると考えています。

事実を分解して考えたとき、ただの嫉妬しか残らない場合は発信しません。誰にも有益じゃないからです。ここに嫉妬を越えた「どうしても伝えたい何か」「危惧している事実」があるかどうか。それが、文句と意見の違いだと思います。

- まとめ

今回の一件でちょっとだけ心が疲れました。名指して暴言をぶつけられることには慣れていませんからね。でも悔しいので発信はやめません。むしろそれだけの段階にきたのだと腹を括り強くなります。

もちろん意図的に炎上させたいワケじゃありません。意見を発信した結果でたとえ炎上しても負けないようにしよう、という話です。