シルクドソレイユアーティストの日常

無理な帳尻合わせより「また逢う日まで」的な感覚で。

こんにちはー。
縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

いま2016年以降の仕事探しに向けて、いろんなことを考えています。

つい先日は「シルホイール」というアクトに初挑戦しました。大きな輪っかの中に入って演技をするやつです。同僚のアーティストが練習をしていたので、せっかくならと混ぜてもらいました。

この時ふと「もしかして、ある程度シルホイールが習得できれば仕事になるかも?」という想いが湧き上がりました。シルクドソレイユのショーでは結構頻繁に使われてますからね。縄跳びだけよりも可能性が拡がるかなぁなんて妄想しました。

あれから2週間。たしかに練習は楽しかったんです。でもある考えに至ってから、もうシルホイールの練習はしていません。

縄跳び以外は「それなり」にしかなれない

たとえばシルホイールを習得して、どこかのショーに入ったとしましょう。そこでは日々のショーでシルホイールを披露する。これって本当に望んでいたことなのかって感じたんです。

そりゃ縄跳びだけよりも可能性が広がります。ショーに残れる可能性もグンと高くなるでしょう。ただこれって自分がやることなのか?という疑問に答えられません。

くわえて、自分よりシルホイールに適した人を沢山知ってるんです。日本で活躍しているパフォーマーもいます。世界中にはもっと沢山の素晴らしいパフォーマンスがあることでしょう。そこに自分がフラッと入って仕事をするのは、全体にプラスにならないのかなと。

今から練習しても、本気でシルホイールをしている人に追いつける気がしません。「それなり」にはできるでしょう。でも結局「それなり」止まりなんです。だったら「それなり」の自分が肩肘張って仕事をするより、彼らがステージに上がって演技した方がお客さんにもショーにも良いと思うんです。

同じことが自分の場合は「縄跳び」に言えます。数年練習しただけの人には負けません。だから「縄跳び」でパフォーマンスが求められるなら、自分が行くことに合点がいくんです。少なくとも損はさせませんよ!って。

現実をありのまま見る

来年の2月でQuidamが終わり、ラヌーバから2015年一杯で縄跳びが無くなる。そうなれば縄跳びアクトはシルクドソレイユから消滅します。この現実を見て「縄跳びアクトが無くなるなら、きっと新たに別の所でやるはず!!」という発想は危険。また「縄跳びがないなら別のことを!!」と無理に帳尻を合わせるのもシンドい。

だって、先のことは誰にもわからないんです。

予測と期待を込めていろんな準備をする。準備は悪いことじゃありません。でも、これはあくまで妄想なんだ!と心の片隅に入れておきたい。もし予測と期待が実現すればラッキー。もし「縄跳び」が完全消滅するなら、それもまたアリなのかなと。

諦めではなく、適材適所

こう書くと諦めに聞こえますよね。でも諦めでるんじゃなくて「妄想に振り回されないようにしよう」ということです。シルクドソレイユから縄跳びが消滅したところで、世界中から縄跳びが消えるわけじゃありません。自分の能力が消滅するわけでもない。ただ求められる場所が変わるだけです。

「いまはシルクドソレイユで求めてませんよー。」って言われたら「そうなんですかぁー。」って別の所を探せばいい。また逢う日まで的な感じで。

http://www.flickr.com/photos/44284392@N04/7843845860
photo by -MRGT

おわりに

この世界には幅広くどんなこともできるサーカスアーティストが居ます。一時期バックアップ出来てくれたThomasがそうです。体操もできる、サーカスアクトもできる、縄跳びもできる…そんな人だっています。

そういう人は羨ましいし、自分にもThomasにならってステージに残る可能性を上げる方法があると思います。でも自分には縄跳びがしたい。だからここで無理に帳尻を合わせる方が苦しいんだろうなと思うんです。

求めてくれる場所と自身が求める「自分」が一致した時、人は思いっきり情熱を燃やせるのだと思います。