なわとびパフォーマーの仕事論

感情論に流されない論理の出発点が、実は「感情」のことが多いという矛盾

こんにちは!縄跳びパフォーマーのまっちゃん(@macchan8130)です。

正しい判断をするには感情に流れされはいけないと言われます。論理的思考が大切である、理論的に考えることが重要であると。

反対に感情に流されたトンチンカンな要求を「感情論」として退けることもしばしば。

たしかに感情をぶつけられる方として溜まったもんじゃありません。ただ論理的思考から感情取っ払うのは、むしろ論理的じゃなくなるんですよね。

[toc]

公平性を決める理論とは?

スポーツでは互いの公平を期すために規則やルールがあります。

ルールの中で全力を出し合い規則事に価値があるとするのです。ではこの公平性とやらは一体どこに基準があるのでしょうか。

厳密に言えば出場選手の全てに公平になるルールは不可能だと思うのです。だってホームとアウェイでは試合環境が違いますよね?さらに言えば大会会場のコンディションも自分達のものと厳密には違うはず。さらに言えば移動距離による負担は確実に平等じゃない。

そう、ルールとは誰が見ても仕方ないと言われる要素を排除した上で、お互いが納得できる規則なのです。

感情を納得させるための理論

理論をしっかりして、お互いが納得するためのルールを創る。不公平感があれば「ズルい」感情が起こりますよね。

ではどうすれば「ズルい」と皆が感じない妥協点を見つけられるか。たとえば「器具開発」もズルいの種になりました。水泳において、身体の広い範囲に着用して締め付ける水着を使用した選手が続々と世界新記録を樹立。あまりにポンポン記録が出るので不公平感が高まり、一部で使用が禁止されました(※)出典

スキージャンプでも滞空時間に影響のある「板の長さ」を身長による制限を加えるルールがあります。(※)出典いずれもズルいを減らすために考えられたルールだと思うのです。

こう考えていくと、論理的に組み上げたルールは人の感情を納得させるためと言えないでしょうか。

感情を無視した理論は破綻する

「AだからB」「BだからC」と論理を組み立てる時、実は出発点の「A」が感情なコトが案外多い。

  • お互いに平等に利益を得たい
  • 誰かが抜け駆けするのが許せない
  • できるだけ得をしたい

いずれも人が持つ自然な感情です。これらをスグに感情論だ!とブチ返す人は少ないと思います。でも丁寧に紐解いていくと、多くの感情論と呼ばれる発言の裏にはこれらシンプルな感情が隠れていると思うのです。

理論的に考えれば無理、ルールだから無理、と突き返すのは論理的に見えるかも知れません。

しかし不公平感覚を減らすことを出発点と考えた場合、これらの感情を突き返すのは得策ではないと思うのです。

お互いに納得できるが大切

世の中には完璧なルールは存在しません。必ずどこかに抜け穴があったり、不公平感を覚えるコトがあるんです。

だからこそルールは変えていくもの。みんなが納得できるように議論をして、ちょっとずつでも不公平感を無くす作業が大切です。

よく日本人はルールを変えようとしない、純粋に従ってしまうと言われます。真面目にルールを護ることも大切です。でも「感情」を無視して理論を振り回してるほうが、実は論理的に破綻してこともあるんです。