苦しんできた心を解放するために。二重跳びを教えるということ。

こんにちは!

冬の時期は毎日のように全国の小学校を飛び回っています、縄跳びパフォーマーのまっちゃん(@macchan8130)です。

ノマド的節約術さまにスポンサーをしていただき、全国の小学校に訪問しながら縄跳びを教えていますが、なかでも一番リクエストの多いのが「二重跳び」なんですよ。

個人的に、高学年に二重跳びを教えるのは技術じゃない大切な意味があると考えています。

二重跳びの生む功罪

二重跳びはなわとびの代名詞的存在。誰でも知ってる技の一つです。

だからこそ小学校では必ず全員が通る通過儀礼になってしまうんですよ。低学年ならまだ良いものの、3年生、4年生ぐらいになるとチラホラできる友達が出てきます。

高学年になると一気に人数も増えて、苦手な子やできない子はドンドン焦っていくんです。

別に二重跳びができなくても人生でなんにも困らないんですけど、体育の授業だけは二重跳びができないとダメ、みたいな雰囲気に押し潰されていきます。

高学年ほど必死に練習する意味

二重跳びは高学年ほど必死に練習します。

なぜだと思いますか?

まわりの友達が1人、また1人とできるのに、自分だけができないことに大きなプレッシャーを感じてるからです。一日でも早く二重跳びができて、まわりのみんなと一緒になりたい。この思いは次第に焦りに変わって行き、子どもの心を締め付けていきます。

ここに拍車をかけるのが、二重跳びができない状態が目立つようになること。

◯◯さんはまだ二重跳びができない。こんなレッテルを貼られたら、外側ではいくら繕っていても「自分てダメなの?」と思い詰めてしまっても仕方ありません。

高学年の心を開放するために、二重跳びを教える

まわりの人と同じことができないプレッシャーは、想像を超える孤独感と焦りです。自分だけできない、自分はダメなんだ、自分なんて・・・こうやって運動への自信を失ってしまう。

正直、縄のまっちゃんは二重跳びを無理にやる必要ないと考えています。でも高学年に限っていえば、長い間苦しんできた彼らの心を開放するために二重跳びを教えてるんです。

プレッシャーで必死に練習してる高学年は、ほとんどの場合ちょっとしたコツでできるようになります。子どもによっては、縄の長さを少し変えたとたん、モノの数秒でできるようになることも。

二重跳びという技術を達成することが重要なんじゃありません。二重跳びという呪縛から開放してあげることこそ、高学年には必要なのです。

苦手な子どもを笑ってはいけない

運動に得手不得手はあります。ときに、運動が不自然で笑ってしまうような状態になってることもあるでしょう。

でも絶対に笑ってはいけない。

笑わないまでも、小馬鹿にしたような態度も発言もダメです。

できないことは、本人が一番知っています。この苦しみで傷ついた心に、軽はずみな態度や発言はトドメを指すことになります。二重跳びで傷ついた心は、崩れかけているんです。

閉ざした心をほぐすことは容易じゃない。だからこそ、大人になってからも「運動(体育)が嫌いだ!!!」と叫ばれてしまうのです。

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