教えるの本質とは何か。教えることでの上達の限界。

こんにちわー。縄跳びパフォーマーのまっちゃん(@macchan8130)です。

自分はかれこれ15年ほど縄跳びを教えていますが、いつも前とびを最重視しています。

前とびなんて誰でもできるんですけどね。

小学校なら一番簡単な技、保育園・幼稚園でも扱うのは前とびです。でも前とびからは「できた」「できない」だけではない、教えるにあたって大切な要素を見極めることができるんですよ。

上達を直接は教えられない

矛盾していますがいくら教えても、教えるだけでは上達はできません。自らで動いて初めて上達するんです。

よく「下手なので教えてください」という人がいますよね。たしかにノウハウを伝えることも、効率的な練習方法を教えることもできます。けど教えても上手になるかは最後まで本人次第なんですよ。

どれだけ効率的な練習方法を聞いても、近道のノウハウを手に入れても、自らで取り組まない限り上達はできません。

教えて欲しいの本音は?

この仕事をしているとたまに「縄跳びを教えて欲しい!」と言われます。ただ「ラクしてあなたみたいになりたい!」だとヤバイですね。

教えてもらえば上達するのは大間違いです。

いくら教えても上達するのは本人なんです。良い人に教わればスグに上手になる!きちんとお金を払って教われば上手になる!!と考えてる段階で、結構キビシイんですよね。

本気で学びたいと思って教わりに来る人は「ここが分からない」などの明確な問題意識を持っています。もしくはなんとかノウハウを盗み取ってやろう!という当事者意識が強いです。

「教われば勝手に上手になるよね?」レベルの気持ちでは上達は難しいでしょう。

地味な練習ができる人は強い

前とびなんて簡単です。上手な人にとっては簡単すぎて地味です。しかし、こうした地味な練習が自発的に取り組める意識(=好き、興味がある)を伝えることこそ、教えるために必要だと思うのです。

この意味で前とびは良い指標になる。教えるネタを選ぶのに、前とびをやらせるだけで一発でわかるんですよ。

この集団は本気で学べるな、
この集団は気持ちが付いてきてないな、

当事者意識が弱い集団には「楽しさ」の要素を混ぜて、自発的に取り組む意識を持ってもらう。そうしなければ教えて上達するスタートラインにすら立てません。すでにモチベーションが高い集団ならあえて突き放すような高いレベルを要求する。自分は、響く人には容赦なく高い要求をしますから。

この判断をするためいつも指導前に「前とびを跳んでねー」とやらせるんです。

基本にこそ滲みでる「好き」

上手な人は前とびが上手なんです。同じ前とびにもオーラがあるんです。

オーラの正体は自信だったり、熟練度だったり、余裕だったり…

好きな気持ちが溢れて出てくるのは、シンプルな基本だったりするんですよね。好きな気持ちが溢れてる人は現段階で難しいことができていなくても、すぐに吸収します。教えがいがあります。

学びたい気持ちと伝えたい気持ちが一致したとき、初めて人に何かを教えることができるのではないでしょうか。

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